2018年12月2日

京都市の方針と都市景観について

タイトルだけでは、?という感じですが、まあ、これは最近、『都市景観をお金に換えられない残念な国「ニッポン」』というニューズウィーク日本版の記事を見つけたからですね。

都市景観というと、すごくあいまいで、なかなか一般的には共有されにくい話なのですが、これはおそらく都市系の専門家以外の建築系でいってもほとんど同じような状況なのかなあと。

ましてや、この記事にあるように「都市景観をお金に換える」とか言われると、建築学科で学んでいた頃のことを思い出してみると、学生さんは特に???ではないのかなあと思ってしまうんですよね。

ただ、僕は、兵庫県の芦屋市で生まれ育ったこともあり、ご存知の方も多いとは思いますが、街自体が景観価値にかなり積極的な方だ思います。
学生時代、意識はしていなかったんですが、論文書くためにそういう景観なんかのことについて書いてくれている専門家の本を読んでいると、都市景観と街の価値の関係やらそういう感覚みたいな話が出てきた時、なんとなく生まれ育った芦屋というか神戸で体験した記憶みたいなこともあわせていろいろつなぎあわせていくと(ここでは詳しいことは書きませんけど)、納得することも多かったように思います。
そういう意味でも、僕は基本的に都市景観に価値を見出すことには賛成の立場です。


そして、記事を読んでみると、なんと京都でも建物の高さ規制について、緩和する方針がでているらしいとのこと。
これはねえ。
たしかに京都の駅ビルのように極端な例もありますし、できたらできたでラクチンで楽しいのかもしれませんが、やっぱり京都は京都らしく(それが一番の問題ですが・・・)しながら、街の構造は変えずにインテリアや外観なんかを新しく清潔にしていったほうが観光客は楽しいんじゃないのかなあ。

あとは、記事本文で「新しくビルを建設することで短期間の建設需要を生み出すことはできるが、長期的には潜在的なテナント需要以上の経済的効果はない。経済全体で考えれば、まだ使える建物を早期に壊してしまった分、減価償却(マクロ経済では固定資本減耗)が増え、結局は、労働者の所得を引き下げる。過剰なビル建設は、かえって経済の弱体化を招く可能性もあるのだ。」と主張されているところがあるんですが、これは僕は専門家ではないので、ほんと感覚的なことなんですが、僕も思っていました。
ただ、この短期の意味がどれくらいのことを指しているのかについてはいろんな専門家の方に話をきいてみたいことではありますかね。

と、つぶやき程度にひとことふたことで終わらせるつもりだったのですが、書いているといろいろ気になることがでてきてしまったので、今回はこれくらいにして終わりたいと思います。