2010年12月1日

冷たい眼と熱い眼について

ちょっと、今日はメモがてら、です。

今月号(2010年 5月号)のカーサブルータスの巻末エッセイでもある『杉本博司の「空間感」~偏光色』の「第11回 冷たい眼と熱い眼」を最近よんだのですけど、ほんとうに、びっくりしたというか、こんなことをしようとされている人がいて、あんな考えをされていた人がいたとは・・・・という感じでしたよ。
なんというか、わざわざエッセイで書き残されるくらいだろうから、みんながみんな同じことを考えて実行しているわけではないのかもなあと思われ、そんなことを考えると、いろいろと思うところがいっぱいでてきた今日このごろです。。

ということで、いきなり、へんな展開ではじめてしまったんですけど、上に書いたとおり、今月号のカーサに杉本博司氏の連載エッセイがあるんですけど、これ、個人的に感動ものだったんですよ。
なので、おもわずこちらで書いてしまいました。(笑)

こんなことをいったらおこがましいですけど、僕自身、だいぶ前から、脳内妄想で、何度も何度も考えてこっそりと書き残していたこともあり、僕自身のカメラの撮影技術的なことはともかく(汗、というより僕自身では考えるだけですけど)、そういうことを、さらりと書かれていたのには、本当にびっくりというかなんというか、僕の脳内をぱっくりひらいて見られたんではないかと思ったくらいでして、そんなこともあり、このエッセイ、何回も読み直してしまいましたよ。

そんな感じですので、気になるかたでもいれば、いろいろと考えさせられることも多いので、一読されることをおすすめしますよ。

ちょっと思ったこと。そして、社会の潤滑油。

たしかにこの考え方もあるよなあと思ったネット記事。
こまかいことは全然わかりませんけどね。
→ 必要なのは、明治維新ではなく、1940年体制との訣別

たしかに上から目線でこういうことを訴えていくことは大事かもですかね。
でも、最近とあることで僕のような小市民でも気楽に、今の世の中のみえないギクシャク感をゆるくする方法があるかもと思ったのでメモがてら。

たしか数年前に海外に行った時にはあたりまえに日常でやりとりされているはずの習慣なんですけど、日本じゃ全然習慣になってないもので、“チップをはずむ”なんてのがありそうなんですよ。
たしかに「ありがとう」と言葉でいえば日本ではそれで済むのかもしれませんしサービス料金込みの場所も多いのは事実ですけど、やっぱり日本人は外国人と違っておいそれと、気楽にこの言葉を言うのが気恥ずかしい人もいるかもしれません。
おかげで最近は一言の言葉の重みみたいなものもましてきているような。。
だけど、チップなら見知らぬ人どうしでもジャラジャラと小銭をとりだして無言でほいとわたしながらさりげなくゼスチャーでも言葉でもいいのでサンキュという気持ちを伝えることができるかもしれないし、なんだか機械化したサービスの中でなんとなく人間的なやりとりが生まれる感じでほんわりとした気分になるかも。
これなら上からお金を渡すとかじゃなくてサービスをうけた人がしてくれたひとに礼儀を尽くすという感じがしてなかなかわるくないかもなあと。
まあ、ネットでのサービスのやりとりなんかはどうするんだという疑問もありますけど、そのあたりはとりあえずスルーですかね。(笑)
ということで、今からでもおそくはないので、この日本でも草の根てきに実践してみるというのは?

個人的にはこのことをもっと時間をかけて調べてみようかなと思いはじめていますよ。
ただ、よくあるタクシーなんかでのやりとりの「やあ、それとっといてよ」というとはべつの感じのものですね。
しいていえば、チップのできた経緯やら歴史、そして日本での可能性についてですかね。。

なんて思ってみましたがどうでしょうか・・・・。